
こんにちは。estieでプロダクトマネージャー(PM)をしている三橋です。
このブログは「PM Blog Week」第5弾・2日目の記事であり、11月開催予定の estie PM Meetup に向けた連載の一部としてお届けしています。<<前回の高橋のブログはこちら>>
不動産業界のドメイン知識がまったくない状態でestieに入社して約2年。いま振り返ると、これからのPMキャリアを考える上で 「Vertical SaaS以外ありえない」 と思うようになりました。
- なぜそう考えるに至ったのか?
- そしてVertical SaaSの優位性をどのようにHorizontal SaaSとの競争力へ転換できるのか?
今回はその点を言語化してみたいと思います。
なぜVertical SaaS以外ありえないと思うのか?
estieに入る前の私のキャリアは、一貫してEC業界でした。不動産とはまったく縁もゆかりもなく、約15年間働いてきたフィールドです。特にECプラットフォームはさまざまな産業の商品を取り扱うため、ある意味でHorizontalな世界でした。
それが今、なぜ「Vertical SaaS以外ありえない」と思うようになったのか。その理由は、業界固有のコンテキストを前提にした深い価値提供ができるからです。
不動産の現場に入ってみると、契約の形態や慣習、プレイヤー間の関係性など、外からは想像しにくい「前提」が山のように存在します。こうした文脈を理解し、それを組み込んでプロダクトを設計しなければ、ユーザーに本当に役立つものは作れません。
もちろん、表面的なシステム化による部分的な価値提供であれば、外部から参入しても一定の成果は出せるでしょう。しかし実際には、不動産業界の業務は多くのコンテキストに依存しており、それを無視したツールは現場で使われることはないと思います。
逆に言えば、この「他業界の人には直感的に理解できないコンテキスト」を織り込んで初めて、Vertical SaaSならではの圧倒的な価値が生まれます。私はこの感覚に気づいてから、HorizontalSaaSでは到達できないこの深さこそが、PMとして自分が携わりたい領域だと確信するようになりました。
Vertical SaaSの優位性
Vertical SaaSの強みや市場での生き残り戦略については、すでに多くの方が整理・発表しています。ただ今回は、それらをあえて参照せず、私自身がestieに入社してからの約2年間で経験してきたことをベースに、「自分の言葉」で整理してみます。
結論から言うと、一言でまとめれば、「業界特有のコンテキストをどれだけプロダクトに織り込めるか」に尽きると思っています。
たとえば不動産業界では、契約そのものは平米単位で行われますが、実務上のやり取りは坪単位が中心になるケースが少なくありません。また、入居時に一定期間賃料を免除する「フリーレント(FR)」にしても、「別FR」と「完R」という2種類があり、さらに両方が同時に使われる場合すらあります。こうした複雑な前提は、業界の外にいる人には直感的に理解しにくいものです。
重要なのは、これらが単なる個別企業の事情ではなく、業界全体に共通する再現性を持っていることが多いという点です。一度このコンテキストを理解してしまえば、二案件目以降の提供スピードも質も大幅に高まり、結果として「より深い価値を、より早く市場に届ける」ことができる。これこそがHorizontalSaaSとの差別化につながります。
昨今のAIの進化によって、表面的な知識は誰でも簡単に手に入るようになりました。AIを使えばプロダクトを素早く形にすることも可能です。しかし、そうしたアプローチでは到底たどり着けないのが、このコンテキストに根ざした価値だと私は考えています。
Vertical SaaSのコンテキストとは何か?
続けて、Vertical SaaSのコンテキストとは何か?も自分なりに言語化してみます。
簡潔にまとめると、業界理解を深めるためには次の3点が重要だと考えています。
#1 データスキーマの理解
業界で扱うデータの構造と型を理解し、再利用可能なスキーマへ整理する。
#2 アウトプットの理解
整えたデータが業務でどう使われ、どんな形式で外に出るか。業界特有の表現と慣習を掴む。
#3 意思決定プロセスの理解
同じデータでも、誰がどう判断するかは業界構造と利害関係で変わる。その思考プロセスを読む。
以下では、それぞれをもう少し詳しく説明します。
一つめは、データスキーマの理解です。
その業界にいる企業は業務でどのようなデータを扱っているのか?また、そのデータを再利用可能な状態にするためには、本来どのようなデータスキーマで管理すべきなのか?というデータの観点です。
データ項目の、データの型、データのサンプル、それらを理解することが、コンテキスト理解の第一歩だと思っています。
二つめは、その業界の業務におけるアウトプットを理解することです。
整理したデータが実際の業務の中でどのように使われ、どのような形式で外に出ていくのかを理解する必要があります。
例えば賃料一つを取っても、「月額の総額で表記するのか」「坪単価で表記するのか」によって、読み手が受け取る意味は大きく変わります。また、情報をどのようなステータスで分類し、どの段階で誰に見せるのか、といったアウトプットのルールも、業界固有の前提として存在します。
こうしたアウトプットの形式や表現方法には、その業界ならではの暗黙の合意や慣習が強く反映されており、単にデータを整備しただけでは到達できません。アウトプットの文脈を理解してこそ、実務で本当に使われるプロダクトが設計できるようになります。
三つめは、業界特有の意思決定(思考)プロセスを理解することです。
同じデータ、同じアウトプットがあったとしても、最終的にどのように意思決定されるかは、業界ごとの構造や利害関係者の立場に依存します。
たとえば不動産のリーシングでは、オーナーは賃料の最大化を目指す一方で、PMは空室率の低減を重視し、仲介会社は取引成立のスピードを優先するなど、プレイヤーごとに判断基準が異なります。 そのため、「誰が、どの立場で、何を優先して意思決定しているのか」を理解することが、Vertical SaaSにおける最後の重要なコンテキストになります。
Horizontal SaaSとの違い
ここまで読んで、「それはHorizontal SaaSでもやろうと思えばできるのでは?」という疑問を持たれる方もいるかもしれません。ですが、私がそれでもなおVertical SaaSでなければならないと考える理由が、いくつかあります。
一つめは、その業界で実務を経験している人だからこそ「必要性を理解できる」特殊なUIの存在です。
例えば不動産業界では、情報を地図ビューや、実際のビルの形・入居情報を模した「スタッキングビュー」で参照するのが一般的です。そのため、業務に自然に溶け込むUIを実現するには、特殊なUIの提供が必須になります。さらに快適な操作体験を実現するには、地図上で図形を描いたり、スタッキング上で部屋を並び替えたりといった、不動産業務に特化した繊細な機能が求められます。こうしたUIは一朝一夕で備えられるものではありません。
二つめは、AIですら持ち得ない「業界固有の特殊な業務文脈」の存在です。これは、個社固有のナレッジをいくら蓄積しても到達できない領域です。こうした要件は、多くの場合、業界を深く理解している者にしか見えない「暗黙の不便さ」として点在しています。顧客が自ら課題として言語化してくれることは少なく、ワークフローを丁寧に掘り下げても、課題として把握しきれない性質を持っています。
いわば、Verticalに深く踏み込んでいるからこそ見える「暗黙知」であり、この点においてVertical領域のPMは、特定の顧客よりも業務を深く理解している部分を持ちます。だからこそ、顧客に言われるまでもなく、最速で最適なプロダクト体験を提供できるのです。
一つ例を挙げると、不動産の営業担当が、競合の物件情報を社内で共有できるようにデータベースへ蓄積したいケースを考えてみます。単に情報を蓄積する「箱」としての仕組みであれば、Verticalな知識を持たないPMでも、必要なカラムを定義したり、生成AIを活用して適切に構造化したりする、といったPRDを書くことはできるかもしれません。
しかし、もしそこにVerticalな知識があれば、「物件情報の揺らぎを防ぐためには、まず物件マスタを整備し、名寄せを行わなければ蓄積した情報の再利用価値は生まれない」という点にすぐに気づきます。 この違いは決定的です。データベースという「構造」をつくるだけでなく、その先にある「再利用性」という本質的価値まで見据えられるのは、業界特有のデータ構造と業務フローを深く理解しているからこそです。
こうした要件は、顧客の現場から直接出てくることはほとんどありません。VerticalなPMが、頭の中で業務の流れとデータの流れを有機的に結びつけているからこそ見える世界であり、Horizontalな立場からは見えにくい領域です。
そして、私はこれこそがVertical SaaSの大きな価値だと考えており、Vertical SaaSの役割は、顧客の要件を再現することではなく、「そのユースケースが本来どうあるべきか」という理想像を業界の構造理解から主体的に描き出すことにあります。
さらに、その理想像を実現するまでのプロセスにおいて、顧客の工数を最小化し、日常的な業務の延長線上で価値を享受できるように設計する。この2点において、Vertical SaaSはHorizontal SaaSやSIerに絶対に勝たなければなりません。
言い換えると、Vertical SaaSの役割は、顧客の要望を正確に再現することではなく、「その業務やユースケースが本来どうあるべきか」という理想像を、業界の構造理解から主体的に描き出すことにあります。
Horizontal SaaSやSIerが現状を起点に最適解を積み上げるフォーキャスト型のアプローチだとすれば、Vertical SaaSは理想の業務状態を先に描き、そこから逆算して設計するバックキャスト型のアプローチです。そして、顧客がエンタープライズ企業の場合は、その理想像を最終的に現実の顧客の制約や要望に合わせてアジャストして提供する形になります。
そして、estieはVerticalに業界を掘り下げているからこそ、こうした潜在的な課題や理想系に自然と気づき、プロダクトへ反映できます。この気づける構造こそが、Vertical SaaSの真価であり、Horizontal SaaSには決して出せない差です。
Horizontal SaaSが同じレベルの気づきに到達するには、膨大な時間とコストが必要です。なぜなら、Horizontal SaaSは多業界をまたいで汎用化された課題構造を学習するため、業界ごとの文脈や非言語的な暗黙知を蓄積するスピードが圧倒的に遅くなるからです。場合によっては、時間をかけてもその領域に辿り着けない可能性すらあります。
つまり、Vertical SaaSの価値は「個社ナレッジの集積」ではなく、「業界全体を俯瞰して得た構造的ナレッジを、プロダクトに還元できる点」にこそあるのです。そしてその構造的ナレッジこそが、理想の業務像をバックキャスト的に描き、現場へ還元していくための最大の原動力になります。
これらを自分なりに整理すると、下表のようになります。
| Horizontal SaaS | Vertical SaaS | |
|---|---|---|
| リサーチの単位 | 顧客単位での課題ヒアリングを中心に、共通課題の抽出や汎用的な構造整理を行う。 | 業界全体を対象に継続的に観察・分析。業界横断で共通化される構造を把握する。 |
| アクセスできる知識の深さ(暗黙知への到達) | 顧客が明確化した課題やニーズをもとに、業界を超えた汎用的な知見を蓄積する。 | 顧客導入・運用支援を通じて、業界特有の暗黙知を抽出し、プロダクト設計に還元する。 |
| 投資構造・ROIの考え方 | 多業界に展開するため、再利用性やスケーラビリティを重視した投資構造をとる。 | 業界特化が前提のため、深掘りがそのまま価値・競争力に直結する。 |
| 継続的な学習構造 | 顧客が多業界に広がることで、共通パターンを横断的に学習・応用できる。 | 顧客群が同一業界に集中しているため、各社のフィードバックを通じて業界共通の構造を観測できる。これにより、プロダクトが業界そのものから学習し、進化していく。 |
| アプローチ思考 | フォーキャスト型:現状の課題を起点に、最適解を積み上げていくアプローチ。 | バックキャスト型:業界における理想の業務状態を先に描き、そこから逆算して設計するアプローチ。 |
Vertical SaaSで活躍できるPMとは?
では、Vertical SaaSでPMとして活躍できるのはどんな人か。
一言でいえば、AIを完璧に操れるスーパースマートな人よりも、AIを使いこなしつつ、現場に深く没入できる「泥くささ」を持った人だと思います。
コンテキスト理解は、ユーザーの業務に入り込み、慣習や前提を一つひとつ紐解いていく地道な作業です。そこにはショートカットはなく、AIで自動化できる部分も限られています。むしろAI時代だからこそ、人間が泥臭く現場を歩き回り、関係者と会話し、業務の裏側に潜む文脈を理解していくことの重要性が増しているように思います。
少し皮肉な話ですが、「AIの時代だからこそ、人間の泥くささが差別化要因になる」。それがVertical SaaSのPMという仕事の面白さであり、魅力だと私は感じています。
最後に
11/11 のestie PM meetup #6では、estie同様、深いドメイン知識が求められる各企業のプロダクト責任者の方々からお話を伺い、ドメイン知識の壁とその突破法について徹底議論します。
【登壇企業様】
- SORABITO株式会社(建機レンタル会社・建設会社)
- 株式会社ヘンリー(医療機関)
- 株式会社Shippio(物流)
より深い話を、当日会場でお話できることを楽しみにしています!