これからも挑戦を続けたい ~不動産テック企業に入社してみた~

皆様はじめまして!2022年8月に入社し、ビジネスサイドでクライアント・ソリューションを担当している曽部と申します。まずは自己紹介とこれまでの経歴をお話しさせていただきます。特に証券、金融、MBAなどのキーワードに当てはまりそうな方、是非読んでみてくださいね。

自己紹介 【プロフィール】曽部 貴弘(そべ たかひろ)

大学卒業後、2011年に野村證券投資銀行部門に入社。資本市場でのファイナンス業務を担当した後、社費留学に選抜され留学。その後、総合商社・プライベートエクイティ関連のM&Aとファイナンス業務に従事。直近では再生可能エネルギーセクターヘッドを務め、大型案件を複数執行。2021年にベストプラクティス賞を受賞。2022年8月にestieに参画し、現在に至る。東京大学経済学部卒、Columbia MBA(2018年卒)。

自分の中の原動力

2010年に就職活動をしていた当時、本当に青臭いとは思うのですが、「Japan as No.1を取り戻したい」と本気で考え、その目的のために人生を投じようと決意しました。私は1987年生まれで、物心つくかつかないかの頃にバブルが崩壊し、失われた30年の中に人生のほとんどが埋没していました。残念ながら平成不況の煽りを受けて、私の父もリストラの憂き目に合い、子どもながらに心に傷を負っていた自分でしたが、日本を何とかしたい!という思いを強く抱くようになりました。

当時2008年のリーマン・ショックを経て100年に一度と言われる不況の中で、リーマンを買収して勝負に出ようとしていた、当時最もアグレッシブな会社が野村證券でした。日本企業がグローバル企業になって逆襲していく姿を見てみたい、自分もその一部でありたいと思ってキャリアをスタートしました。

これまでのキャリア

野村證券では、最初の4年間は資本市場系の部署で、大企業の資金調達をサポートする業務を行っていました。投資銀行という業態の醍醐味でもありますが、自分のような入社間もない社員でも、CFOや財務部長に直接プレゼンする機会がよくあります。(もちろん全部ではありませんが)最初は冷や汗をかきながら、強面のお客様の厳しい視線にも耐えながら、一生懸命考えた提案内容をお伝えしていたのを今でも覚えています。昼夜を問わずだいぶ激しく働いた記憶はありますが、この時から【全身全霊を以てお客様に対峙する】というスタンスが身についたように思います。

その後社費留学に選抜され、アメリカのニューヨークにあるColumbia Business Schoolに合格することができ、MBA取得のため留学することになりました。帰国後は、総合商社・プライベートエクイティのセクターを担当するカバレッジ部署に配属となりました。

提案するプロダクトやソリューションは様々で、M&A、エクイティ、デット、IPO、ストラクチャリング等がありますが、運よく自分はほとんどのプロダクト案件に携わることができ、自分なりの引き出しをかなり増やせた時期だったと思います。その背景としては、自分がフロントとしてお客様を担当し、複数プロダクト部署と協働してソリューションを提供する、という役割分担になっており、自分の得意分野でなくても知識がゼロでも「何かアドバリューを出す」ことが常に求められるため、どの案件においても強制的に進化させられたという部分があります。(激しい成長痛を伴いますが…)


また、異なる観点ですが、投資銀行では特別な意味を持つ顧客担当の”バンカー”として、LEADERSHIPについて考える日々でもあったと思います。上記のプロダクト部署には自分より知識も経験も豊富なシニアな方が多く、プロジェクトの最年少者が自分、ということもよくありました。そのなかで常に自分の考える方針が正しいのか、他の人から見てフェアなのか、を熟考する必要がありました。

海外のお客様を直接担当した際は、時差もありました(米国向けだと深夜と早朝にミーティングが組まれる)。フラフラになって泣きそうになる中で、社内の意見調整もしながら、不確定要素の多い内容を英語でお客様と議論して…を繰り返し昼夜フル回転するわけですが、余計に自分の中の指針が正しいかを研ぎ澄まさねばならない状況でした。

日々葛藤する中で、私が尊敬する上司の方(今は執行役員をされています)にいただいた金言があり、本邦初公開ということで下記に転載させていただきます。私は印刷してトイレに貼っており、毎日心に刻んでいます。

  • 自分と違う意見の人の声に耳を傾けて理解しようとすること
  • 自分の考えを臆せず相手に伝えること
  • 自分で全てやろうとせず、年齢関係なく周囲を信頼すること、そういう関係を築くこと

なぜestieを選んだか

estieを最初に知ったきっかけは、Columbia MBAの卒業生でUTEC(東京大学エッジキャピタル)のパートナーである坂本さんからのご紹介になります。帰国してからしばらくしてキャッチアップの面談をしましょうというお誘いをいただき、「控えめに言っても最高な会社があるので紹介したい」と仰られ、代表の平井をご紹介いただきました。

転職活動らしいものを全く経ていない私ですが、転職するに当たっては二つの軸:【人】【プロダクト】で判断しようと考えていました。スタートアップで【人】【プロダクト】って言ったら…そりゃほぼ全部じゃないか!?という突っ込みもあると思いますが、ご容赦ください。

一つ目の軸:【人】

まず【人】について、一般論としてスタートアップではHard Thingsがあるはずで、(もちろんないにこしたことはない)その際にどれぐらい踏ん張りが効くかを考えた時に、「誰と一緒なら頑張れるか」「この人のために血と汗と涙を流せるか」という観点はまず重要なのではと思っています。

estieの経営陣は、世間一般からすると若い、されどスタートアップ特有のウェイウェイ感はなく、地に足がついて議論できるメンバーばかりです。そのため、どんな時でも至誠を尽くして話せば分かってもらえる、という確かな感触を早期に持つことができました。

二つ目の軸:【プロダクト】

次に【プロダクト】について、会社として提供しているサービスに腹落ち感があるか、という観点を持っていました。これは私見を大いに含みますが、投資銀行の業務は情報の非対称性をフルに活用したビジネスだと理解しています。(例えば、M&Aにおいて売手と買手の情報格差がある中で、如何に交渉を取りまとめるか)

一方で、Googleなどに代表されるように、あらゆる情報の格差や障害がなくなっていくメガトレンドは今後も変わらないものなのではと思っており、estieの提供するサービスは不動産業界における透明度を高めるものだと確信し、己の中での納得感がありました。

3ヶ月経って分かったこと(正直に!)

何もかも順調で最高です!!!…と言いたいところではありますが、ポジショントーク抜きにして率直に語らせていただきます。初めての転職ということもあり戸惑うこともありながら、「新しい知識やスキルを取り込む」⇔「アンラーニングする」を繰り返しております。

スピード感が早い

恥ずかしながらSlackを使って仕事をするのは初めてです!とバラしておきます。前職では社内外とのやり取りがメール・電話で完結していたこともあり、自分の中のリズムもそのツールに依拠していた部分が大いにありました。例えば、ToDoについてはメールで自分宛てに送信して備忘録とし、一日の最後までに受信トレイを空にする、ことがルーティンでした。Slackはとにかくチャンネルが多い!みんなの反応が早い!(という浦島太郎発言してすみませんが…)と思うので、ついていくのが最初は大変でした。

反対にスタートアップのスピード感を体現するには確かに優れたコミュニケーションツールだな…と今更ながら実感しております。使い方によって余計な忖度や社内政治や衝突を避けることができると共に、会社内で起きていることがライブで把握できる、誰にでも開かれていることは大きなメリットであると感じます。さらにestieのオープンコミュニケーションを志向する方針がその効果を増大させていると思います。

自分で考えて整理、優先順位付けをしなくてはいけない

人員も急拡大しているestieではありますが、大企業のように部署や課があり、チームがたくさんあり、というわけではありません。自分で考えながら、アポ取り→資料作成→営業→議事録残す、別途情報収集…を進める必要があり、少人数で業務を完結させる必要があります。前職では部署内の若手メンバーと分担して資料作成を進めたり、アシスタントさんに一部業務をお任せしたりしていました。自分はお客様対応と提案のコア内容を考えることに集中していましたが、それはやはり大手企業の特権だったのかなと反省しています。

有名な「緊急度と重要度のマトリクス」というものがあります。以前は緊急度=重要度だったのでほぼ悩む必要がありませんでしたが、今はより重要度を考慮して、今なぜこの仕事をこのタイミングで取り組むのか、を真剣に吟味するようになりました。この仕事をすることによって、お客様と社内のメンバーと誰が喜んでくれるのか、最もインパクトを残せるのかという観点での優先順位付けを意識しています。(もちろんできていないことも多いです…)estieの事業の中で、自分のアクションがどのようなインパクトを与えるのか、会社の方向性や戦略レベルで考えて決めることを心掛けるようになりました。

野村證券からなぜ転職したのか

結論:新しい事業を白地のキャンバスに描きたかった

白地のキャンバスと表現するとこれまでのestieを創り上げてきたメンバーに気が引ける所があるのですが、(社内の皆さん、平にご容赦ください…)弊社は本気で時価総額一兆円企業を目指している会社であり、その未来から逆算からするとまだまだスタート地点です。そして、マルチプロダクト戦略も同時展開していくので、これから見たこともない事業とプロダクトが広がっていくイメージです。今から〇年後の未来にどんな絵が描かれるのか、自分自身もワクワクしながら働いています。

前職では、上司とチームメンバーにとても恵まれている環境で働くことができていました。自分が取り組んでいた再生可能エネルギーの領域は非常に新しい分野だったのですが、マネジメントの方々が私に裁量を持たせていただき、好きなように案件を発掘・提案・執行ができていました。難易度の高いクロスボーダー案件でも、志高く一緒にチャレンジしてくれるジュニアメンバーが傍にいました。そして、社内でベストプラクティス賞まで受賞し、それなのになぜ転職…?というお声も実際にいただきました。

直感が告げてくれた

私が当時手掛けていたのは、社内の新事業創出だったのですが、どうせやるなら本当に新事業創出をやりたい!というのがダイレクトな理由です。野村證券は創立90周年を迎え、よくできたビジネスモデルであり、完成されたプラットフォームなのだと思います。であるがゆえに、完全に新しいものをアドオンすることがとても難しい、社内で調整が必要な関係者が余りにも多い。ならばこれからプラットフォームを創っていくフェーズの所で力を尽くす方が、自分が本当に突き詰めたいことに近いのではないか、と考えるようになりました。

転職など全く考えていなかった自分ですが、ちょうど上記のようなことを考えていたタイミングで、estieのシリーズA調達が完了した後に代表の平井から声をかけてもらいました。UTEC坂本さんからのご紹介から二年越しのキャッチアップでしたが、自分にとっては「ああ、自分は転職する時がやってきたのだな」と直感が告げるタイミングとなりました。

  • 「新事業を創っていきたい」と思っていた自分⇔1兆円企業を創りたいestie
  • 「Japan as No.1を取り戻したい」と思っていた自分⇔「産業の真価を、さらに拓く。」を掲げるestie

というように、過去考えていたことのピースとドットが一気につながっていく感覚が自分の中にありました。初めて転職したのに偉そうなことを言って恐縮ですが、転職はロジックだけでは決めきれない。最後は内発されるgut feelingに理屈がついてくるのでは、と思っています。

家族の説得

幸いにも奥さん含む家族にも賛成してもらうことができました。ですが、4歳の子どももいますので、しっかりと説明は尽くしました。最後の決め手となったのは、何と言っても「貞観政要」(じょうがんせいよう)!弊社代表の平井の愛読書はこの中国の古典であり、徳川家康も座右の書とした名著となります。

奥さんには

「家臣や民の声に耳を澄ませた太宗を尊敬している平井さんならついていって大丈夫!」

「自分はこのような名君に出会いたかった」

「おれは徳川十六神将になるぞ!!!(意味不明)」

と説明し、納得してもらいました。(納得してくれたはず。)

最後に

長文でしたが最後まで読んでいただき、まことにありがとうございます。

私はestieでは珍しいバックグラウンドの金融機関出身者ということで、金融セグメントに関わるお仕事を全般任せていただいております。不動産と金融という奥深いテーマに分け入っていくことになるので、今後も精進を重ね、良い事業開発やプロダクト構築を推進していきたいと思っております。

estieのメンバーは日々活き活きしながら業務に取り組んでおり、本当に心から信じあえる仲間が集まっています。「控えめに言っても最高」な会社であると、今は自分の言葉で言うことができます。

この入社エントリーを読んでピンと来た方や、自分も活躍できそうだぞ!?と思ったそこのあなた!!!是非一度カジュアルにお話ししてみませんか?皆様にお会いできるのを楽しみにしております。

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