日本橋三井タワーがもたらす日本橋の進化【必見】

田中 陸(Riku Tanaka)

目次

  1. 日本橋三井タワー基本情報
  2. 「道」「商業」「文化」の街として発展した日本橋
  3. 成長と衰退を繰り返した日本橋
  4. 「残しながら 蘇らせながら 創っていく」日本橋再生計画
  5. 日本橋三井タワーの施設情報
  6. 終わりに

皆さんは日本橋三井タワーをご存知でしょうか?

日本橋三井タワーは、1929年に竣工し、1998年に重要文化財に指定された三井本館に隣接しているオフィスビルです。歴史・文化を「残しながら」、日本橋地区を「蘇らせながら、創っていく」ことをコンセプトとして建築された都市再生の象徴といえるような高層ビルとなっています。

今回は日本橋三井タワーを生むことになった「日本橋再生計画」や、日本橋三井タワーの魅力について説明していきます。

日本橋三井タワー基本情報

名称 :日本橋三井タワー 住所 :東京都中央区日本橋室町二丁目1番1号 竣工 :2005年7月 高さ :194.69m 階数 :地下4階、地上39階建 敷地面積 :14,375.28 m2(三井本館、三井二号館含む) 延床面積 :133,855.68m2 所有者 :三井不動産 アクセス :銀座線・半蔵門線「三越前駅」直結、総武線「新日本橋駅」徒歩3分、山手線「神田駅」徒歩7分「東京駅」徒歩12分

「道」「商業」「文化」の街として発展した日本橋

日本橋は1603年に江戸幕府開府と同時に完成しました。五街道の起点以外にも資供給のための水の道としても発展し、まさに「道」の街となりました。

1800年頃、江戸の人口は、当時のロンドンやパリをはるかに上回る120万人に達する世界最大規模の都市の1つでした。その中でも日本橋は人・物・ことが集まり、それらの交流によって商業の街として発展していきました。

実は、「三井越後屋呉服店(のちの三越)」や「白木屋(のちの東急百貨店)」も、江戸時代の日本橋で創業したものです。

このように日本橋は「商業」の街としても賑わいを見せました。また江戸時代は浮世草子や浮世絵など様々な文化が発展しました。五街道の起点として全国から多様な文化や技術が集まる日本橋はこれらの発展に大きく貢献したといわれており、「文化」の街としての側面も持っていました。

成長と衰退を繰り返した日本橋

明治時代になると、「三越(前・三井越後屋呉服店)」を初めとして様々な百貨店が開業しました。商業地として更なる発展を遂げるだけでなく、金融センター、オフィス街としての顔も持ち合わせるようになります。

しかし、1923年の関東大震災や1945年の東京大空襲により大きな被害を受けてしまいます。いち早く復興し、1960年頃には賑わいを取り戻すも、再び悲劇が起こります。

1964年の東京オリンピック開催に合わせて作られた首都高速道路に日本橋の上空を覆われ、街のシンボルであった景観が失われてしまったのです。1988年には大手百貨店の東急日本橋店が閉店するなど、日本橋は衰退していきました。

これに危機感を感じた住民や企業が、かつての活気のあった日本橋を取り戻すために、地域一体となって「日本橋再生計画」の取り組みが始まりました。

「残しながら 蘇らせながら 創っていく」日本橋再生計画

上記のような背景から、三井不動産は、官・民・地域一体となって「日本橋再生計画」を推進しています。2004年の「COREDO日本橋」の開業を皮切りに、「残しながら(歴史的建造物や伝統ある老舗、街の文化を残しながら)、蘇らせながら(街の景観、水と緑の賑わいを蘇らせながら)、創っていく(次世代に向けた新たな街の魅力を創ってく)」をコンセプトとした第1ステージが始まりました。日本橋三井タワーもこのプロジェクトの目玉の一つとして2005年に誕生しました。 2014年からには「COREDO室町2・3」の開業を契機に「産業創造」「界隈創生」「地域共生」「水都再生」の4つのキーワードに基づいた第2ステージへ、2019年には「日本橋室町三井タワー」の竣工を経て、日本橋再生計画は第3ステージへと進みました。

「残しながら、蘇らせながら、創っていく」の開発コンセプトと上記4つのキーワードを掛け合わせた開発で、新しい価値を世界発信する街づくりを目指しています。 (参考:https://www.mitsuifudosan.co.jp/corporate/news/2019/0829_02/download/20190829.pdf#search='2004%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%80%8CCOREDO%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%A9%8B%E3%80%8D%E3%81%AE%E9%96%8B%E6%A5%AD%E3%82%92%E7%9A%AE%E5%88%87%E3%82%8A%E3%81%AB%E3%80%81'

日本橋三井タワーの施設情報

日本橋三井タワーはオフィスの他に様々な施設が併設しています。それらを紹介していきます。 ショップ&レストラン B1F-2F コンビニやATM、薬局、オフィスワーカーのニーズに応えるレストランの他に、1Fには千疋屋の本店など様々なショップがあります。 美術館 7F(三井本館) 隣接する三井本館の7Fには三井記念美術館があり、日本橋三井タワー1Fのアトリウムから入ることができます。多数の日本、東洋の優れた美術品を収蔵している三井文庫別館が、三井家及び三井グループに縁の深い日本橋に移転して、2005年10月に開設した美術館です。ここでは、多数の美術工芸品や切手類を所蔵しており国宝や重要文化財も展示されています。 ホテル 3、30-38F 高層階には、世界初の5つ星をはじめとし数々の賞に輝く高級ホテル、マンダリンオリエンタル東京があります。食事やスパなど卓越したサービスで上質なひとときを過ごすことができます。 アトリウム 1Fエントランススペースにあるアトリウムはビル4階まで伸びる⾼さ約26mの光あふれる巨⼤空間になっています。ヒストリカルウォールと⼤理⽯に囲まれた贅沢なアトリウム空間はイベントスペースとして使われています。ホテル宿泊客、美術館来場者、オフィスワーカーなど様々な⼈が⾏き交うスペースでのイベントができ、ミニコンサートが開催されることもあります。

終わりに

日本橋三井タワーの魅力は伝わったでしょうか。日本橋再開発プロジェクトはまだまだ続いています。今後日本橋が、古き良き文化を残しながら、どのように変化していくのか目が離せません。 その他の記事もぜひチェックしてみていください!

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監修

執筆者
田中 陸(Riku Tanaka)
経歴
東京大学経済学部卒業後、住友不動産入社。オフィスビルのアセットマネジメントを担当し、海外事業部にて世界主要都市の市場調査や投資検討に従事。 estieでは、セールスマネージャーとして営業や事業開発を手がける。 ベンチャー感を出すため、ヒゲと伊達眼鏡をトレードマークにしている。
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