有楽町のオフィス事情【再開発に注目】事務所の今後の動向を解説

田中 陸(Riku Tanaka)

目次

  1. カルチャー、ビジネス、闇市 紆余曲折の有楽町の歴史
  2. 大丸有の一角を担う 有楽町のオフィス事情
  3. おわりに

時に港区・中央区と合わせて「都心三区」とも呼ばれることもある、日本国内屈指のビジネス街である千代田区。

その中でも特にビジネス街として強い存在感を放つのが「大手町・丸の内・有楽町」エリアです。

古くから三菱系の企業たちが本社を連ねていたことからこのエリアを「三菱村」などと揶揄することもありますが、皇居をその後ろに構え、日本を象徴する東京駅を玄関口とするそのエリアのオフィスニーズは、近年でも他エリアと比較し圧倒的な人気であることがわかります。

大手町のオフィス(2020)事務所利用の魅力と今後の開発

丸の内と並んで商社、政府系金融機関、メガバンク、マスコミなどの企業が本社や本店を構える日本を代表するオフィス街である大手町。今回はまだまだ発展途上とも言える街である大手町の魅力について迫って行きたいと思います。

丸の内のオフィス【今後の展望】事務所利用の特徴とメリット

日本を代表する企業が数多く名を連ねる名実ともに日本一のオフィス街である丸の内。今回はそんな丸の内エリアに迫っていきたいと思います。

元来高スペックなビルが立ち並ぶエリアですが、ここ20年間では丸の内ビルディングの建替えを契機に、新丸ビル、永楽ビル、大手町フィナンシャルシティ、そして三菱地所が現在遂行する日本一の高層ビルプロジェクトである常盤橋など、丸の内から大手町に波及するようにビルの刷新が行われています。その傍ら東京駅を背にして左手、有楽町に目を向けるとまだまだかつての高さ31mの基準に頭を打つビルが多く見受けられます。

そんな有楽町も2019年12月には三菱地所が「Micro STARs Dev.(マイクロスターディベロップメント)」と銘打った再開発構想が発表され、先進のビジネスエリアへ着実に歩を進めているエリアです。今回はそんな近い将来に大規模な連鎖型再開発を控えた有楽町エリアのオフィス事情や今後の動向などを解説していきます。

カルチャー、ビジネス、闇市 紆余曲折の有楽町の歴史

皆さんは「有楽町で逢いましょう」という歌謡曲はご存知ですか?

この有楽町を題材とした歌謡曲はかつて関西ローカルの大手百貨店であったそごうが東京初進出時の出店戦力の一つとしてフランク永井氏が歌った曲で、日本におけるCMソングの走りとなった曲ともいわれています。現在も阪急メンズ館や有楽町イトシアや、皇居側に行けばエルメスのブティックなどが立ち並ぶ有楽町は今でこそ商業地である銀座とオフィス街である丸の内の特徴を混ぜ合わせたような印象の町となっていますが、その歴史はその名がつけられた江戸時代までさかのぼると、かつてはいわゆる住宅街であったことがわかります。正確に言えば戦国大名のお屋敷が立ち並ぶリアだったわけですが、かの織田信長の実弟である織田有楽斎長益(おだうらくさいながます)もそのエリアに屋敷を構えていたことが有楽町の名前の由来と言われています。

もとい将軍様のお膝元として、遣える大名たちの生活の拠点であった有楽町も、江戸城が引き渡され時代が変わると、大きくその役目を変えていきます。1968年の明治維新後、東京駅前エリアは西洋文化を日本国内でも積極的に取り入れ、赤レンガ使いの建物などの見た目の変化だけではなく、一丁倫敦(いっちょうろんどん)と呼ばれるビジネスセンター街として一大的な発展を遂げました。その後大正12年の関東大震災を経て、銀座が政府主導の復興計画の元商業地として生まれ変わるとともに近接するエリアでもある有楽町にも邦楽座、日劇、宝塚劇場などが整備され、有楽町は日本のアミューズメントの中心地として、歓楽街としての役割も担い始めます。

昭和時代になると

有楽町には現在の毎日新聞社である東京日日新聞や朝日新聞、読売新聞社など大手新聞社が本社を構え、一帯は「新聞街」などと呼ばれました。しかし第二次世界大戦を終えると、有楽町を含む東京駅を中心とした周辺一帯は、国の中枢機能を担う重要エリアとして勝利国家に特に厳しく監視下に置かれることになります。特に有楽町は現在の第一生命保険の本社であるかつての第一生命館に連合国軍総司令部(GHQ)の本部が置かれ、多くの外国人が出入りするエリアとなりました。

その煽りを受け、有楽町には外人向けのキャバレーやクラブ、占領軍向けに発展した風俗街や、いわゆる非合法の商店が立ち並ぶ、すし屋横丁や闇市などができ、戦後の暗い歴史を象徴するような土地柄となっていきます。 昭和39年に連合国軍による占領が解除されると、有楽町も徐々に現在の姿へと変貌していきます。

関西ローカルデパートであったそごうが有楽町に初出店することを皮切りに、かつて劇場が立ち並んでいた歴史も相まって有楽町は再び日本を象徴する商業地として高度経済成長の波にもまれていくことになります。 駅前周辺も大きく姿を変え、都市計画の整備により非合法の飲食店街であったすし屋横丁は撤去され、東京都と三菱地所の共同出資による東京交通会館へと姿を変えました。

数寄屋橋も撤去され地下鉄丸ノ内線が開通。交通の便も利便化し、有楽町は「日本を代表するビジネス街である丸の内」と「日本を代表する繁華街である銀座」のちょうど中間地点として、多くの人々が行き交う街へと姿を変え、昭和56年の日劇の閉館まで、有楽町は日比谷とともに日本最大の映画館街・劇場街として世に知られていきました。

有楽町の発展を支えた劇場たちもやがて老朽化や人々の娯楽ニーズの変化に伴いその役目を終え、有楽町マリオン、有楽町イトシアへと建て替わり、現在は日本の経済成長を支える丸の内・大手町に続くオフィス街&人々の集まる銀座の入り口として、その役割を務めています。

大丸有の一角を担う 有楽町のオフィス事情

ビジネス街としての有楽町、もとい大手町、丸の内、有楽町は言わずと知れたビジネス街であり、オフィスの供給床面積は120h(東京ドーム25個分)にも上るといわれています。 皇居をバックにしたその東京駅前という立地は、地下鉄やタクシーに乗れば目と鼻の先に霞が関、虎ノ門、日本橋といった国内のビジネス・公官庁関係の主要エリアをとらえることができ、まさに日本でも唯一無二のビジネス街となっています。

そのため、主要なテナントニーズは高い賃料水準についていけるような士業系事務所やコンサルタント系企業をはじめとし、政府系の銀行、大手商社、外資法律事務所等、今を時めくベンチャー企業や先端産業景系というよりは、安定して長期的に国の利益に貢献するような成熟産業が多いマーケットとなっています。

不動産業界では「大丸有(だいまるゆう)」という言葉がよくつかわれます。日本を代表するオフィス街である千代田区に存する大手町・丸の内・有楽町を一つのエリアとして総称した言葉です。主に三菱地所が主導となり開発を行っているこのエリアですが、この大丸有は2000年以降の連鎖的再開発により、エリアマネジメントが強化され、「丸の内仲通り」という大丸有のど真ん中を串刺す道路を中心に一連的な街づくりとなっており、この三つのエリアは名前こそ違うものの、もはやマーケットとしては一つのエリアとなっています。

この3エリアは賃貸オフィスの賃料相場を見ても、昨今は軒並み4万円半ばとそれぞれ高い水準を保っています。オフィスニーズを見てもこの3エリアでは明確な差はなく、上記のように商社や士業事務所関連、コンサルタント事務所などが多くの割合を占め、テナント側からもこの3エリアを一つのマーケットと捉えた上での評価を行っているようです。

しかし、マーケットの分析だけではわからない有楽町と大手町・丸の内の決定的な差が一つあるのです。それは、有楽町エリアは「今後再開発が行われていく」という点です。上記でも述べたように、大丸有エリア、特に丸の内と大手町は、2002年の丸ビルの建て替えから現在に至るまでの約20年間をかけて徐々に再開発を行ってきました。この再開発は1期と2期に分かれており、大手町エリアの物件を対象とする第2期も、現在施工中の「丸の内1-3計画」や、三井不動産の「OH-1計画」、丸紅の本社ビル建設の竣工を機に完了、同エリアの大型再開発計画は2027年竣工予定の「東京駅前常盤橋計画」まで目立ったものはありません。

そこで、この約6年の空白期間にいまだに古いビルの立ち並ぶ有楽町の再開発をぶつけようというのが大丸有エリアの次なる動向なのです。

歓楽街から実験的なビジネス街へ!有楽町の今後の動向

上で語ったように、有楽町は今後再開発によって姿を変えていくことになります。現状では大手町や丸の内と大きなマーケットの差別化がない中でどういった街に変貌を遂げていくのでしょうか?

2019年末、三菱地所は記者会見を行い、「Micro STARs Dev.(マイクロスターディベロップメント)」と銘打った再開発構想を発表しました。同社によれば本構想は、再開発が未着手の有楽町エリアにおいてソフト面の強化を行い、同エリアをクリエイティブな人材や、様々な革新的な製品が生まれるような場所へと進化させていくものとのこと。また、有楽町をこういったエリアに押し上げていくような革新的な企業の誘致にも注力していくという。

大手不動産ディベロッパーは、各社それぞれ強みを持つエリアで独自の街づくり構想を打ち出していますが、各社の構想に共通している点は「異業種間の交流」という点です。東急各社が主導している渋谷エリアでは、大手IT企業とITベンチャーの交流の場として多くのコワーキングスペースを供給していたりといった動きがみられる中で、有楽町エリアの今後を担う三菱地所は同社が強みを最も発揮する大丸有エリアにて、ベンチャー企業の積極的な誘致を行ったり、また自ら出資を行っている背景があります。

2016年には国内外のベンチャー企業の育成に焦点を当てた「グローバルビジネスハブ東京」やフィンテック企業向けのレンタルオフィスである「フィノラボ」、またベンチャー企業と大丸有に拠点を置く大手企業のオープンイノベーション拠点として「インスパイアドラボ」を大手町に開設するなど、オープンイノベーションの促進や、ベンチャー支援に余念がない状況です。

この流れを有楽町の再開発にも持ち込み、有楽町というエリアをあげて、同エリアのリブランディングに乗り出そうというのです。 有楽町は、戦後大手町・丸の内と肩を並べるビジネス街でありながら同エリアの連鎖的再開発からやや取り残されるような形となり、大丸有という言葉がありながらも大手町・丸の内ほどのブランドイメージがないビジネス街であった時期が長く続いていました。

しかし、この20年間での東京駅前再開発で培われたノウハウとともに今後遂行されていく有楽町の再開発は間違いなく同エリアに大きな変化をもたらすことになると思います。上記の再開発計画を打ち出した三菱地所は、ビジネスの中心地でありながら日生劇場や国際フォーラムを擁する有楽町エリアを今後の再開発でよりクリエイティブかつ、ビジネスパーソン以外の若者なども訪れるような街にしたいと語っています。

おわりに

今後の再開発でビジネスの拠点として新たな一面を持つことになりそうな有楽町は、成熟産業従事者だけでなく、これまでなかなか縁のなかったベンチャー企業などにとっても目が離せないエリアとなっていくかもしれません。以下のリンクから有楽町のビル募集情報をチェックしてみてください!

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監修

執筆者
田中 陸(Riku Tanaka)
経歴
東京大学経済学部卒業後、住友不動産入社。オフィスビルのアセットマネジメントを担当し、海外事業部にて世界主要都市の市場調査や投資検討に従事。 estieでは、セールスマネージャーとして営業や事業開発を手がける。 ベンチャー感を出すため、ヒゲと伊達眼鏡をトレードマークにしている。
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