霞が関・虎ノ門のオフィス【成功と課題】事務所の最新トレンド

田中 陸(Riku Tanaka)

目次

  1. お堅い行政のお膝元 霞が関エリアの歴史
  2. 成長を続ける虎ノ門エリアの歴史
  3. 対極的な動向にある霞が関・虎ノ門のオフィス事情
  4. 順風満帆な虎ノ門と、課題が残る霞が関のオフィスの今後

2020年東京オリンピックの開催を目前に、大規模な再開発計画があちこちで竣工を迎え、空室率や賃料水準の推移をみてもその好調ぶりが目に見える都心のオフィス事情ですが、その中でも伝統の長いオフィスエリアが今回解説をしていく「霞が関・虎ノ門」エリアです。

霞が関と虎ノ門はそれぞれオフィスマーケットが加熱傾向にある千代田区と港区に位置するエリアです。区は違いますが、立地としては隣接しているエリアで、そのマーケット事情はそれぞれに違うトレンド感を形成していながらも、そのベン図の一部を共有しあうエリアとなっています。

ですが、それぞれのオフィス事情に目を向けると、この隣接する二つのエリアの今後のマーケットは大きく異なるものであるようにも思えます。虎ノ門エリアは森ビルなどを中心として巨大な再開発計画が進行しています。近年でも貸床面積20,000㎡を超すような大規模なオフィスビルが高稼働率でいくつも竣工しており、オフィスエリアとしての今後のポテンシャルを感じることができます。

一方で霞が関では、その歴史から官公庁系の入居テナントが多いために賃料水準は同じ千代田区内でも丸の内・大手町エリアに次ぐ高水準であるためマーケットとしては成熟している様子なのに対し、空室率は千代田区内ではやや高めとなっています。

今回はそんな霞が関・虎の門エリアのオフィス事情について、それぞれの歴史的背景やオフィス事情を比較も交えつつ、今後の動向まで解説していきます。

お堅い行政のお膝元 霞が関エリアの歴史

大手町、丸の内、有楽町、日比谷、赤坂と同様に、江戸時代の本丸であった現皇居を取り囲むエリアの一つである霞が関は、古くは江戸時代から大名たちがその屋敷を構える名所として名が知られていました。

江戸のお膝元であった丸の内とは違い、多くの外様大名たちもこの霞が関に腰を据えていたのが特徴でした。

現在では多くの官公庁の施設が門を構える霞が関が屋敷街から姿を徐々に変え始めたのは明治初期の外務省庁舎の誕生が皮切りだったと言われています。皇居に隣接するという立地の特性も助けとなり、皇城の再建と共に諸官庁が霞が関へと集められていきました。著名なものでは井上馨の主導によりジョサイア・コンドル氏の設計により建てられた鹿鳴館や、ドイツ人技術者のベックマン作成の計画がエンデやアドルフ・ステヒミューラーらなどにより洗練されていき、霞が関は現在の姿へと近づいていきました。

明治以降はネオバロック式の司法省庁舎など、ヨーロッパ人建築家の手も借りたことにより近代的な西洋建築の建物が多くみられましたが、建て替え前の庁舎は大名屋敷をそのまま流用したものも多く、かつての姿から大きく姿を変えたタイミングだということがわかります。大正時代に入るといよいよ現在の国会議事堂が建設され、行政の中枢機能として新たな霞が関が完成しました。

昭和後期に入ると、官公庁機能が中心であった霞が関はオフィス街としてそのポテンシャルを発揮し始めます。老朽化した庁舎の移管が需要を増す中、それまでの西洋建築とは打って変わった高層の庁舎として「中央合同庁舎5号館」が誕生、厚生省や環境省、国土交通省などが入庁しました。官庁系のイメージが強かった霞が関ですが、平成になると中央官庁では初の官民共同での再開発事業である「霞が関三丁目南地区第一種市街地再開発事業」が実施され、民間企業がオフィスを構えるエリアとしても知名度を上げていきました。

霞が関の開発の特徴は「PFI(Public Finance Initiative)」という手法を数多くとっていることで、公共施設等の整備などは国の投資で行い、開発のノウハウなどを民間企業から享受するというまさに官民一体の体制で現在の姿へと生まれ変わっていったという歴史を歩んできました。

成長を続ける虎ノ門エリアの歴史

虎ノ門という少しいかつい地名は江戸城の外堀に設けられていた虎之御門という門に由来しているといわれています。江戸幕府が日本を収めていた時代、徳川家康は江戸の町づくりに風水の考えを多く取り入れていました。

その中でも特徴的なのが陰陽額の考えである「四神相応」といわれる考え方です。陰陽学においては青龍、玄武、朱雀、白虎という四神がそれぞれ川、海、道、山などをつかさどっていると考えられており、江戸城をこの四神が取り囲むように門が構えられています。

そのうちの西側の守りを司ったのが白虎、すなわち虎之御門だったといいます。虎之御門そのものは明治初期に撤去されましたが、その近隣エリアの俗称として「虎ノ門」という名称は人々に認知されていきました。 隣接する霞が関が行政機能の中枢として認知度を高めていく一方で、昭和22年にかつての東京都芝区が赤坂区、麻布区と合併、港区が新たに誕生しました。中でも虎ノ門は霞が関に隣接している立地上の特性から、オフィス街としての希少性は当時から非常に高く、当時は多くの新聞社や財閥、士業系の企業が本社を構えていました。

やや離れた霞が関の恩恵を受けるような形でオフィス街として発展をしてきた虎ノ門ですが、東京メトロ銀座線「虎ノ門駅」の開通により利便性は一気に向上、霞が関とは違ったオフィスマーケットを形成していきます。虎ノ門と言えば六本木と並ぶいわゆる「森ビル」が開発したビルが目立つ街ですが、現在のオフィスエリアとしての虎ノ門の地位は森ビルの功績が大きく関係しています。中でも顕著なものは2014年の「虎ノ門ヒルズ」の完成でした。官民連携で都市再生を目指したこの超大規模プロジェクトの完遂により、虎ノ門は一気にオフィス需要の新たな受け皿として認知されることになりました。

これまで当エリアの主要なテナントであったパブリックセクター系や郵船系のオフィステナントに加え、マッキンゼー、ジャフコ、JTといった著名な外資系企業がオフィスを構えるようになり、虎ノ門は新たなオフィスマーケットを開拓していきました。

対極的な動向にある霞が関・虎ノ門のオフィス事情

対極的な動向にある霞が関・虎ノ門のオフィス事情

かつてはルーツをともにしながらオフィス街として発展を遂げてきた霞が関と虎ノ門ですが、現在のオフィス事情に目をやるとその違いはかなり顕著になっていることがわかります。 虎ノ門では再開発事業の先駆けとなったアークヒルズや上記で紹介した虎ノ門ヒルズの開業を皮切りに、かつてのメインマーケットであった行政系のテナントに加え、現在では多くの外資系企業のオフィスを迎え入れ、より広いマーケットに対して訴求性の高いエリアとなっています。

また霞が関が近いという特性を生かし、森ビルが主導となり複数のデベロッパーが玉突き的に再開発を推し進めており、現在も広大な仮囲いに囲まれた工事現場が無数に存在します。2000年大台初期から現在にかけてオフィスの床面積供給は500,000㎡近くも増加しており、賃料相場も上昇傾向で3万円台後半~4万円台で成約する物件も増えてきています。虎ノ門ヒルズ開業前には9%近かった空室率も2010年代以降は右肩下がりであり、現在も2%台と低い水準を保ち続けています。今後も「虎ノ門・麻布台プロジェクト」や「虎ノ門二丁目地区計画」など大規模な再開発とオフィス床の大量供給が計画されていますが、これだけのオフィスニーズに対応するには不十分との見方もあるエリアとなっています。 対照的に霞が関は、冒頭の通りメインマーケットが公官庁系、パブリックセクター系のテナントのため、賃料水準は景気と連動して底堅い水準となっている傾向ですが、ここ数年の目立った新築ビルや再開発の竣工が多くなく、オフィスエリアとしてはやや目新しさに欠ける状況となっています。

特に官公庁系のテナントはここ数年での人員削減が大きく影響し、霞が関エリアの空室率低下の足かせにもなっています。立地がら非常に高い立地ステータスに恵まれているものの、昨今のオフィスニーズの変化や働き方の変化により、立地ステータスを必要とせず、利便性や周辺にオフィスを構えるテナントとのシナジーを意識した物件探しがトレンドとなっている影響も否めないように思えます。また、街中には築古ビルが目立つことも現在の霞が関のオフィス事情を象徴しているものの一つであり、社員の作業能率の向上や働き方の改善の優先順位が高くなっているオフィストレンドの中で、高い立地ステータスよりもよりビルのスペックを優先する企業が増加傾向にあることが霞が関のオフィスステータスの成長における物足りなさの原因の一つであると考えられます。

順風満帆な虎ノ門と、課題が残る霞が関のオフィスの今後

現状のオフィス事情に目をやれば、今後も旺盛なオフィス事情にこたえていく気概を見せる虎ノ門と、成熟したマーケットに身動きが取りづらくなっている霞が関という構図となっている両者のオフィスマーケットですが、それぞれのオフィス事情は今後どのような課題を抱え、どのように変貌していくのでしょうか。

上記の通り、虎ノ門エリアでは今後も数多くの再開発計画が計画されており、虎ノ門に対する高いオフィス事情に応えていく準備を整えています。一方で品川のオフィス事情を見てみると、かつて品川インターシティの開発でオフィス床の大量供給がなされたエリアですが、開発当時の需要に対して開発を行ったため現在では渋谷や丸の内などのようにエリアブランディングに懸念を抱え、オフィスエリアとしては賃料水準も長らく横ばいとなってしまっています。

品川のオフィス【今後の動向】リニア開業がもたらす影響とは?

皆さんは、休日に品川駅に出向いたことはありますか?山手線、京浜東北線をはじめとした5本のJR路線乗り入れに加え、東海道新幹線、さらには京急線により空港へのアクセスも良好と、西日本のみならず日本各地や世界各国へと通ずる窓口を果たしている品川駅は、日本国内を見渡しても超巨大ターミナル駅と言えるでしょう。

様々な働き方が許容される現代では、オフィスのトレンドもかなり流動的で読みづらいものとなっていますが、今後竣工を迎える再揮発企画や新築ビルは、そういったオフィストレンドの将来を予測し、柔軟に対応が可能な計画であるべきと考えます。その中での虎ノ門の先開発で注目すべきなのは2021年に竣工を迎える「虎ノ門ヒルズ レジデンシャルタワー」です。地上54階建ての超高層計画となるこの計画ですが、所謂オフィス敵地である虎ノ門のど真ん中にタワーマンションが誕生することになります。

なりで考えてしまえば、この好立地であればマンションよりもオフィスを建設する方が底堅いものになるかと思いますが、近年のオフィスワーカートレンドの一つとして挙げられることの多い「職住近接(オフィスワーカーの職場と住居が近く、アクセスが容易であること)」の観点から見れば、このオフィス街の中に一定規模の住宅の供給がなされるということは昨今のこういったニーズをくみ取った結果なのかもしれません。

一方で霞が関は現状としてエリア一体として老朽化が進んでおり、昨今のオフィスニーズにはややそぐわない持ちとなってしまっている状況です。逆にいえば、築古ビルが数多く並ぶ霞が関は今後数年でオフィスエリアとしての転換期が近いことが予想され、ビルの建て替えなどが活発なエリアとなる可能性もあります。

かつて虎ノ門がオフィス街としての地位を高めていく手助けをしていたのと逆に、霞が関は今後のオフィスマーケットに対する向き合い方を時代の先端を行く隣の虎ノ門に仰ぐ必要があるように思えます。

 

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監修

執筆者
田中 陸(Riku Tanaka)
経歴
東京大学経済学部卒業後、住友不動産入社。オフィスビルのアセットマネジメントを担当し、海外事業部にて世界主要都市の市場調査や投資検討に従事。 estieでは、セールスマネージャーとして営業や事業開発を手がける。 ベンチャー感を出すため、ヒゲと伊達眼鏡をトレードマークにしている。
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